sawawa初の著書本『ちくちくふわふわ 羊毛フェルトの小さなアクセサリー』出版!!
新作の紹介や羊毛フェルト教室(東京・大阪・兵庫)のお知らせ、作品集掲載情報、また、毎日の生活の中でみつけたsawawa的カワイイの瞬間や、心の動いた一瞬を切り取ってアップしていきます。
お天気が良ければ、
窓から見える多良間島、宮古島などの景色を
ず〜っと眺めていたのだと思いますが、
石垣から飛び立った飛行機はすぐに雲の上へ。
旅の疲れも出ていたのか、すぐに眠ってしまっていました。
飛行機が那覇空港に向けて着陸態勢に入った放送で目覚めます。
窓から見える多良間島、宮古島などの景色を
ず〜っと眺めていたのだと思いますが、
石垣から飛び立った飛行機はすぐに雲の上へ。
旅の疲れも出ていたのか、すぐに眠ってしまっていました。
飛行機が那覇空港に向けて着陸態勢に入った放送で目覚めます。
寝ている間に上空で旋回でもしていたのか、
気が付くと30分くらい到着が遅れているみたい。
おそらく今朝の大雨の影響で、
空港が混雑していてなかなか降りられなかった模様。
厚い雲の下に降りてくると、うわぁ…天気ワル!
着陸して飛行機が駐機場に向かう間も、
洪水か!ってほどザバザバ水浸し。
南国の雨の激しさはさすが。
自分一人なら遅れても構わないのですが、
今回はここ那覇空港で待って下さってる方が!
そう、旅3日目の夜、石垣島でおいしいお酒とお料理をごちそうになり、
ステキな唄と三線を聞かせて下さったSさんです。
30分もお待たせしてしまって申しわけなかったです。
それにしても、ゲートを出ると待ってくれてる人がいるって…
嬉しいものですね♪
時刻は13時前くらい。
さっそくお昼ご飯を食べに移動します。
車で連れて行って頂いたのは豊崎ライフスタイルセンターTOMITON。
近くにはアウトレットモールあしびなー等があるエリア。
このTOMITONの中には有名なソーキそば屋さんが4〜5軒、
長屋みたいに集まっています。
その中から「うるくそば」さんを選択。
軟骨ソーキそば!
やっぱり地元の方に連れてきて頂くと間違いないですね〜!!
ソーキが甘くてトロトロに煮てあって、
さっぱりカツオだしとよく合っていてとってもおいしい〜!!
太くてコシのある沖縄そば独特の麺もサイコー♪
おだしはトンコツ味も選べるようでした。
そう言えば私、今回で沖縄3回目なのに、
まだ一度も本場のソーキそばって食べてなかった!
昨年の旅のとき、竹富島で八重山そばを食べたけれど、
ソーキそばと八重山そばはちょっと違うんだよね〜。
本場の味でおなかも気持ちも満たされ、島内観光へ。
離島派な私は本島はほとんど周ったことがありません。
初めての沖縄旅行のとき、
トランジットの合間に首里城と国際通りに行ったくらい。
この日は沖縄本島南部を中心に連れて行って頂きました。
南部。
南部戦跡。
いつか必ず来ようと思っていた場所。
離島派だったのと、車が運転できないと若干行きづらいエリアな為、
これまでなかなか来られずにいました。
でもずっと心に引っかかっていました。
楽しい面ばかり見て、沖縄が好き好き言ってていいものかと。
いろんなことをちゃんと知った上で、好きって言いたかった。
ここからはあまり写真は出てきませんが、
よろしければお付き合い下さい。
まずはひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館へ。
ひめゆり学徒隊らがガス弾攻撃により、
多くの命を落とした壕が残っています。
しとしとと降り続ける雨の中、静かにお祈り。
資料館には、
学校の始まりから戦中、終戦・戦後までの変遷が解説されており、
学徒の方々の実際の持ち物や遺影、医療器具、壕を再現したジオラマ、
生存者の証言本などが展示されています。
まだ10代の学徒たちがわけも分からないまま戦場に動員され、
それはそれは劣悪で、弾の飛び交う危険な環境のもと、
命をかけて負傷兵の看護や軍の手伝いを強いられる。
自分の隣で爆弾で命を落とす学友。
負傷して動かすことができない学友を置いて避難せざるを得ない状況など。
そして最後は「解散命令」という名のもと、
あとは自分でどうにかしろ、と、事実上見放されたような始末。
生存者の証言などを元にしたありのままの事実が
静かに展示されていました。
日本中、世界中が狂っていた時代。
人間って追いつめられると、
心からの思いやりを発揮することも出来れば、
逆に信じられない鬼の顔を見せることもある。
東日本の震災、それから私が体験した神戸の地震のときは、
知らない者同士でも、助け合い、相手を思いやる気持ちが
みんなの中から自然に湧き出てた。
震災自体はとても辛い経験だったけれど、
人間の深い慈しみの心を目の当たりにできる機会でもありました。
戦時下では鬼の顔になってしまうのかな。
お国の為に命を捨てるのが当たり前で、生き残るのは恥。
そんな風潮に洗脳されてしまった人々。
それはおかしいと分かっていても、口にすることを許されず、
鬼のフリをしなければならなかった時代。
自分や大切な人を守る為に、「敵」と呼ばれる人間を倒さなければならない。
その「敵」にだって家族があるのに…。
みんな鬼になんてなりたくなかったよね。
この(一応)平和な時代に生まれ、
物も豊かで苦労なく育ってきた自分たちには、
人間がそこまで鬼になれるものかと信じがたいようなところもあります。
けれど、人は誰もが元々、温かい心と鬼の顔、
両方持っているものなのかもしれません。
だとしたら、もう決して再び、鬼の顔を目覚めさせてはいけない。
開けてはいけない箱。
せめて、せめて、戦争で命を落とされた方々が少しでも浮かばれるように。
同じ過ちを繰り返さないことで、
平和な時代に生活させてもらっている感謝の気持ちを表したいものです。
ひめゆりの塔の次は平和祈念公園へ移動。
広大な敷地は国定公園になっていて、
美しい緑の芝生の向こうには赤瓦の資料館、平和祈念堂、
沖縄戦などの戦没者のお名前が刻まれた平和の礎(いしじ)、
6月23日の慰霊の日に式典が行われる、
テレビ等で見るあの広場などがあります。
それから各都道府県ごとの慰霊塔など。
兵庫県ののじぎくの塔もありました。
出身県ごとにお名前の刻まれた平和の礎を抜け、平和の広場へ。
お天気が良ければどこまでも青く美しい沖縄の海が一望できる高台にあります。
この美しい海からこちら側に向かって、
たくさんの銃弾、爆弾が飛んできたそうです。
きれいに整備され、南の風が吹き抜ける
広い広い気持ちのいい公園。
今はただ静かに、穏やかな表情を見せてくれているこの場所は、
沖縄戦の激戦地の跡地です。
さて、南部をあとにし、高速道路を通って北上します。
現在沖縄県内は高速料金無料化実験中。
あ、でももう終わるようなことを先日ニュースか何かで見たかな?
次に向かったのは宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園。
激戦地だったここにも戦跡があり、
日本軍が使ったトーチカ(中から銃を撃つ為の壕みたいなもの)
が残っています。
それと展望台。
ここからは普天間飛行場を見渡せます。
写真では分かりづらいですが、緑の長いところが基地。
考えられない光景でした。
民家と滑走路が本当に隣り合わせ。
お天気が良ければ(←こればっかり…)、
米軍機が民家すれすれを離発着訓練するところが見られるらしいです。
知識として「市街地に隣接する基地」と知っているだけなのと、
実際に自分の目で見るのはこんなにも違うものなのか。
基地問題に関してはそれぞれいろいろな意見を持っていると思います。
自分は、ただでさえ戦争でひどい目に合った沖縄県が
いまだに多くの問題を抱えたままなのが申し訳ない感じがしていました。
なんだか基地問題を沖縄県だけの問題にしているような。
どこか他人事というか、
県外の人はみんな、自分のこととして考えていないような。
だから沖縄県だけに押し付けるのではなく、
ほかの都道府県でも持ち回るようなことができないのかな、なんて。
某府知事さんがおっしゃるように関空を使えるのなら、
沖縄県の負担を減らせるのなら、私はそれに賛成です。
けれどそんなに単純な問題でもないのですよね。
県外移設になると困る人たち。
基地関連の雇用や商売で生計を立てている方が大勢いらっしゃる。
みんなが納得できる案にまとめるのはとても難しい問題ですが、
ないちゃーの私たちにできることは、
もう少し自分の国の問題として捉えることじゃないかな。
沖縄本島では修学旅行生をたくさん見かけました。
戦争のことを学ぶ場所は沖縄以外にもあるけれど、
過去の戦争と、今現在もなお抱えている問題の両方に触れられる場所として、
沖縄県はとても勉強になる県ではないでしょうか。
一度始めてしまった戦争はなかなか終われないのです。
もうひとつ基地。
ここは嘉手納基地です。
道の駅かでなからの風景。
さすが東アジア最大の空軍基地!
広〜〜〜い!
とても写真には収まり切らない!
wikiによると、羽田の倍の広さらしいです。
ここもお天気がよければ目の前で米軍機の離発着が見られるのだそう。
普天間と同じで、ここも住民の方々の生活圏。
騒音も事故も事件も、たまったもんじゃないだろうな…。
最後はコザ。
現在は沖縄市という地名になっています。
嘉手納基地の米軍兵相手の商売をしているお店が多く、
とても独特な街の雰囲気。
大好きなBEGINの曲の中でも
特に好きな「KOZA」というかっこいい曲があり、
この街のことが歌われています。
というわけで、ここからはこの「KOZA」をリピート再生しながら
ブログを書こうかな♪
曲のイメージにぴったりの街。
一瞬、ここは日本なの?と思ってしまうほどアメリカ色が濃い。
まだ明るい時間に訪れましたが、夜が似合う街なんだろうな。
女性一人で夜にうろうろするには少しデンジャラスな雰囲気がありつつ、
でも音楽とお酒におぼれる(のであろう)かっこいい街。
このBEGINの「KOZA」という曲がとても好きで、
一度コザを訪れてみたかったのです♪やった♪
一人では決して来られなかった数々の場所に連れて行って頂き、
いろんな思いが巡った一日。
いい時間になり、今日のホテル、北谷の「ザ・ビーチタワー沖縄」さんにチェックイン。
こちらもご縁で…
とてもいいお部屋に泊まらせて頂けたのです。
本当にありがとうございます。
お部屋〜♪
右手が景色の見えるバス、左手がリビングとベッドルーム♪
白とブルーが基調の、とても爽やかでキレイなお部屋でしょ〜♪
恋人と来られるとさぞかし良いことでしょう、もちろん一人でしたが(笑)
窓からの眺めも最高♪
眼下にはエメラルドグリーンのサンセットビーチ!
それから美浜アメリカンビレッジを見下ろせます♪
翌朝に撮った動画。
キレイな景色でしょ♪
お天気が良ければもっとステキだったんでしょうね…(コレばっかり^^;)
夜にはこうなります♪
お部屋からもバスルームからも七色に輝く観覧車が見えます。
こんなステキな景色とお部屋を独り占めでした〜♪
夕食はバイキング。
海を眺めながらのバーベキューか、しゃぶしゃぶが選べます。
お肉にお野菜、そのほか新鮮なお刺身や沖縄料理、
フルーツ、スイーツなんかが食べ放題!
もう…この旅の間中、ひたすら食べて飲み続けていたので…
たくさんのおいしそうな食べ物を前にしながら
あまり量が食べられなかったのが残念。
この旅で体内の水分が全部、アルコールに入れ替わったんじゃないかな(笑)
さすが沖縄!
そんな酔いどれの旅もついにラスト1日。
最終日は沖縄本島北部、やんばる方面へ。
気が付くと30分くらい到着が遅れているみたい。
おそらく今朝の大雨の影響で、
空港が混雑していてなかなか降りられなかった模様。
厚い雲の下に降りてくると、うわぁ…天気ワル!
着陸して飛行機が駐機場に向かう間も、
洪水か!ってほどザバザバ水浸し。
南国の雨の激しさはさすが。
自分一人なら遅れても構わないのですが、
今回はここ那覇空港で待って下さってる方が!
そう、旅3日目の夜、石垣島でおいしいお酒とお料理をごちそうになり、
ステキな唄と三線を聞かせて下さったSさんです。
30分もお待たせしてしまって申しわけなかったです。
それにしても、ゲートを出ると待ってくれてる人がいるって…
嬉しいものですね♪
時刻は13時前くらい。
さっそくお昼ご飯を食べに移動します。
車で連れて行って頂いたのは豊崎ライフスタイルセンターTOMITON。
近くにはアウトレットモールあしびなー等があるエリア。
このTOMITONの中には有名なソーキそば屋さんが4〜5軒、
長屋みたいに集まっています。
その中から「うるくそば」さんを選択。
軟骨ソーキそば!
やっぱり地元の方に連れてきて頂くと間違いないですね〜!!
ソーキが甘くてトロトロに煮てあって、
さっぱりカツオだしとよく合っていてとってもおいしい〜!!
太くてコシのある沖縄そば独特の麺もサイコー♪
おだしはトンコツ味も選べるようでした。
そう言えば私、今回で沖縄3回目なのに、
まだ一度も本場のソーキそばって食べてなかった!
昨年の旅のとき、竹富島で八重山そばを食べたけれど、
ソーキそばと八重山そばはちょっと違うんだよね〜。
本場の味でおなかも気持ちも満たされ、島内観光へ。
離島派な私は本島はほとんど周ったことがありません。
初めての沖縄旅行のとき、
トランジットの合間に首里城と国際通りに行ったくらい。
この日は沖縄本島南部を中心に連れて行って頂きました。
南部。
南部戦跡。
いつか必ず来ようと思っていた場所。
離島派だったのと、車が運転できないと若干行きづらいエリアな為、
これまでなかなか来られずにいました。
でもずっと心に引っかかっていました。
楽しい面ばかり見て、沖縄が好き好き言ってていいものかと。
いろんなことをちゃんと知った上で、好きって言いたかった。
ここからはあまり写真は出てきませんが、
よろしければお付き合い下さい。
まずはひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館へ。
ひめゆり学徒隊らがガス弾攻撃により、
多くの命を落とした壕が残っています。
しとしとと降り続ける雨の中、静かにお祈り。
資料館には、
学校の始まりから戦中、終戦・戦後までの変遷が解説されており、
学徒の方々の実際の持ち物や遺影、医療器具、壕を再現したジオラマ、
生存者の証言本などが展示されています。
まだ10代の学徒たちがわけも分からないまま戦場に動員され、
それはそれは劣悪で、弾の飛び交う危険な環境のもと、
命をかけて負傷兵の看護や軍の手伝いを強いられる。
自分の隣で爆弾で命を落とす学友。
負傷して動かすことができない学友を置いて避難せざるを得ない状況など。
そして最後は「解散命令」という名のもと、
あとは自分でどうにかしろ、と、事実上見放されたような始末。
生存者の証言などを元にしたありのままの事実が
静かに展示されていました。
日本中、世界中が狂っていた時代。
人間って追いつめられると、
心からの思いやりを発揮することも出来れば、
逆に信じられない鬼の顔を見せることもある。
東日本の震災、それから私が体験した神戸の地震のときは、
知らない者同士でも、助け合い、相手を思いやる気持ちが
みんなの中から自然に湧き出てた。
震災自体はとても辛い経験だったけれど、
人間の深い慈しみの心を目の当たりにできる機会でもありました。
戦時下では鬼の顔になってしまうのかな。
お国の為に命を捨てるのが当たり前で、生き残るのは恥。
そんな風潮に洗脳されてしまった人々。
それはおかしいと分かっていても、口にすることを許されず、
鬼のフリをしなければならなかった時代。
自分や大切な人を守る為に、「敵」と呼ばれる人間を倒さなければならない。
その「敵」にだって家族があるのに…。
みんな鬼になんてなりたくなかったよね。
この(一応)平和な時代に生まれ、
物も豊かで苦労なく育ってきた自分たちには、
人間がそこまで鬼になれるものかと信じがたいようなところもあります。
けれど、人は誰もが元々、温かい心と鬼の顔、
両方持っているものなのかもしれません。
だとしたら、もう決して再び、鬼の顔を目覚めさせてはいけない。
開けてはいけない箱。
せめて、せめて、戦争で命を落とされた方々が少しでも浮かばれるように。
同じ過ちを繰り返さないことで、
平和な時代に生活させてもらっている感謝の気持ちを表したいものです。
ひめゆりの塔の次は平和祈念公園へ移動。
広大な敷地は国定公園になっていて、
美しい緑の芝生の向こうには赤瓦の資料館、平和祈念堂、
沖縄戦などの戦没者のお名前が刻まれた平和の礎(いしじ)、
6月23日の慰霊の日に式典が行われる、
テレビ等で見るあの広場などがあります。
それから各都道府県ごとの慰霊塔など。
兵庫県ののじぎくの塔もありました。
出身県ごとにお名前の刻まれた平和の礎を抜け、平和の広場へ。
お天気が良ければどこまでも青く美しい沖縄の海が一望できる高台にあります。
この美しい海からこちら側に向かって、
たくさんの銃弾、爆弾が飛んできたそうです。
きれいに整備され、南の風が吹き抜ける
広い広い気持ちのいい公園。
今はただ静かに、穏やかな表情を見せてくれているこの場所は、
沖縄戦の激戦地の跡地です。
さて、南部をあとにし、高速道路を通って北上します。
現在沖縄県内は高速料金無料化実験中。
あ、でももう終わるようなことを先日ニュースか何かで見たかな?
次に向かったのは宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園。
激戦地だったここにも戦跡があり、
日本軍が使ったトーチカ(中から銃を撃つ為の壕みたいなもの)
が残っています。
それと展望台。
ここからは普天間飛行場を見渡せます。
写真では分かりづらいですが、緑の長いところが基地。
考えられない光景でした。
民家と滑走路が本当に隣り合わせ。
お天気が良ければ(←こればっかり…)、
米軍機が民家すれすれを離発着訓練するところが見られるらしいです。
知識として「市街地に隣接する基地」と知っているだけなのと、
実際に自分の目で見るのはこんなにも違うものなのか。
基地問題に関してはそれぞれいろいろな意見を持っていると思います。
自分は、ただでさえ戦争でひどい目に合った沖縄県が
いまだに多くの問題を抱えたままなのが申し訳ない感じがしていました。
なんだか基地問題を沖縄県だけの問題にしているような。
どこか他人事というか、
県外の人はみんな、自分のこととして考えていないような。
だから沖縄県だけに押し付けるのではなく、
ほかの都道府県でも持ち回るようなことができないのかな、なんて。
某府知事さんがおっしゃるように関空を使えるのなら、
沖縄県の負担を減らせるのなら、私はそれに賛成です。
けれどそんなに単純な問題でもないのですよね。
県外移設になると困る人たち。
基地関連の雇用や商売で生計を立てている方が大勢いらっしゃる。
みんなが納得できる案にまとめるのはとても難しい問題ですが、
ないちゃーの私たちにできることは、
もう少し自分の国の問題として捉えることじゃないかな。
沖縄本島では修学旅行生をたくさん見かけました。
戦争のことを学ぶ場所は沖縄以外にもあるけれど、
過去の戦争と、今現在もなお抱えている問題の両方に触れられる場所として、
沖縄県はとても勉強になる県ではないでしょうか。
一度始めてしまった戦争はなかなか終われないのです。
もうひとつ基地。
ここは嘉手納基地です。
道の駅かでなからの風景。
さすが東アジア最大の空軍基地!
広〜〜〜い!
とても写真には収まり切らない!
wikiによると、羽田の倍の広さらしいです。
ここもお天気がよければ目の前で米軍機の離発着が見られるのだそう。
普天間と同じで、ここも住民の方々の生活圏。
騒音も事故も事件も、たまったもんじゃないだろうな…。
最後はコザ。
現在は沖縄市という地名になっています。
嘉手納基地の米軍兵相手の商売をしているお店が多く、
とても独特な街の雰囲気。
大好きなBEGINの曲の中でも
特に好きな「KOZA」というかっこいい曲があり、
この街のことが歌われています。
というわけで、ここからはこの「KOZA」をリピート再生しながら
ブログを書こうかな♪
曲のイメージにぴったりの街。
一瞬、ここは日本なの?と思ってしまうほどアメリカ色が濃い。
まだ明るい時間に訪れましたが、夜が似合う街なんだろうな。
女性一人で夜にうろうろするには少しデンジャラスな雰囲気がありつつ、
でも音楽とお酒におぼれる(のであろう)かっこいい街。
このBEGINの「KOZA」という曲がとても好きで、
一度コザを訪れてみたかったのです♪やった♪
一人では決して来られなかった数々の場所に連れて行って頂き、
いろんな思いが巡った一日。
いい時間になり、今日のホテル、北谷の「ザ・ビーチタワー沖縄」さんにチェックイン。
こちらもご縁で…
とてもいいお部屋に泊まらせて頂けたのです。
本当にありがとうございます。
お部屋〜♪
右手が景色の見えるバス、左手がリビングとベッドルーム♪
白とブルーが基調の、とても爽やかでキレイなお部屋でしょ〜♪
恋人と来られるとさぞかし良いことでしょう、もちろん一人でしたが(笑)
窓からの眺めも最高♪
眼下にはエメラルドグリーンのサンセットビーチ!
それから美浜アメリカンビレッジを見下ろせます♪
翌朝に撮った動画。
キレイな景色でしょ♪
お天気が良ければもっとステキだったんでしょうね…(コレばっかり^^;)
夜にはこうなります♪
お部屋からもバスルームからも七色に輝く観覧車が見えます。
こんなステキな景色とお部屋を独り占めでした〜♪
夕食はバイキング。
海を眺めながらのバーベキューか、しゃぶしゃぶが選べます。
お肉にお野菜、そのほか新鮮なお刺身や沖縄料理、
フルーツ、スイーツなんかが食べ放題!
もう…この旅の間中、ひたすら食べて飲み続けていたので…
たくさんのおいしそうな食べ物を前にしながら
あまり量が食べられなかったのが残念。
この旅で体内の水分が全部、アルコールに入れ替わったんじゃないかな(笑)
さすが沖縄!
そんな酔いどれの旅もついにラスト1日。
最終日は沖縄本島北部、やんばる方面へ。
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